先ほどの記事と重なりますが、ここ数年、ポリシーと同様に「個性」という
言葉を使って何でも済ませている感がある。これは子育てしている親
であったり、会社の上司であったり、子供の悪い部分、部下の悪い部分を
すべて「個性」で片付けている感がある。「あれは彼の個性だから」
「これはこの子の個性だから」などなど。その言葉が非常に無責任に
聞こえるのは海人だけなのでしょうか。 いかにも寛大にそれを認めて
いるようにも聞こえるが、どう考えても躾不足、指導力不足にしか
感じないのです。その原因は躾、指導する側の力量・本気度が足りない
のではないでしょうか。かつて、箸を持った方の肘をテーブルに
ついたまま食事をとっている人がいました。もう、その姿を見ている
だけで食事が不味くなりました。その人には子供もいました、親が
こんな姿で食事してたら子供も同じようになってしまいそうで、お節介
ながら注意を促してしまいました。世の中の常識と家庭内の常識って
違う部分がたくさんあると思います。ましてや、子供にとっては親から
与えられる知識が最初の常識となって体に染み付いてしまいます。
ゆとり教育に始まり、個性を大事にしましょうなんてやってきた結果が
悪い方向に出てるんじゃないかと心配しています。
今、民主党さんがマニフェストを実現するために頑張っていますが、
「個性」と同様に間違った認識を持たず、本当に国民の生活が豊かに
なることを考えて取組んでいただきたい。
「マニフェストに謳ってますから」という言葉は口がさけても発して
欲しくないし、それを「やりましたっ!」なんて顔もされたくない。
じっくりとそして迅速に正確に、帳じり合わせのやっつけ仕事に
ならないように願うばかりであります。。。(--〆)
自分もやっつけ仕事をしないよう心がけています☆