木曜日の早朝に延岡を出発し、昨日の夜延岡に帰ってきました。
あっという間の4日間で、まだまだ現地に居たいと思いましたが、
自分の足元をしっかりすることが前提での支援活動ですので
この日程が海人の限界かもしれません、しかし機会があればまた
行きたいと強く思います。
東京まで飛行機、そこからレンタカーで常磐道~東北道で宮城へ
向かいましたが、常磐道の福島県いわき市から先は原発の避難
範囲で通れず、郡山へ向かい東北道で目的地へ向かいました。
震災から2ヶ月半が経っており、仮設住宅も整備されていました。
被災地で驚いたのは、道路1本隔てて東と西とでは全く状況が
違うのです。この地域の人たちはどのような生活をしているかと
想像しながら到着したのですが、地震の影響で倒壊した家も無く、
保育園では子どもたちがはしゃぎまわり、小中学校では生徒たちが
サッカーや野球をやってたり。普通に生活が出来る人と、家を
失ってしまった人との距離はほんの200メートル程度しかない
のです。
活動拠点となったVC(ボランティアセンター)です。
午前と午後の2時間ずつ作業を行うためにここに並んでチーム分け
と作業の説明を受けて、8~10人のチームで依頼者宅へ向かいます。
2時間を侮るなかれ。フル稼働の2時間はけっこう堪えますよ。
朝の部は8時半から、午後の部は12時半から受付を行います。
凡そ120名程度が常に集まっていましたが、週末は地元の人たち
も大勢参加していました。
バスに向かって依頼者宅へ向かいます。
お昼はテントに戻り、おにぎりを食べました。
作業内容は「泥かき」がほとんどで、見渡す限りヘドロが堆積しています。
全て手作業でやってたら何年かかるでしょうか・・・
終わりの見えない作業を黙々と続けるのみです。そしてこの作業で
気付いたことをセンター職員に申し送り、翌日の作業道具や作業内容を
決定します。
災害時のボランティア活動の仕組みがしっかりと出来上がっていました。
松林もほぼ全滅状態。
この松林を作ったときの石碑が建っていました。
おそらく暴風、防砂等の防災目的で作られたのだと思います。
今回の津波は昔の知恵や今の世の常識をはるかに超える津波
だったと思います。
これまでの防災計画を見直しつつ、防災への新たな発想も必要
ではないかと感じました。また、今ある自分の生活に対して常に
危機感を持っていたいとも感じました。
これは対岸の火事ではない、自分のこととして向き合っていきたい
と思いました。
また行きたいです。